【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

今日(狂)の狂言 : 06月23日(日曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-06-23 05:10:53 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ ナポレオン・ボナパルト御一行がロシアへの遠足に出発、物見遊山の長期滞在、その後の地獄を誰もが予想できなかった(1812年)。 ◆ アメリカ軍が沖縄を解放した記念日。沖縄県民にとって最も大切な聖日で、毎年盛大に祝われる(1945年-沖縄戦の組織的抵抗が終結)。 ◆ 日米安全保障条約が、ゲバ棒やら火炎瓶が飛び交う中で大騒ぎした挙句、無事安穏に自然延長(1970年)。

◎ ◎ 急ぎすぎた野心家、コリン・オブレイディ ◎ ◎

- - -<検証/ 第3回>疑惑の南極単独横断、冒険家に集まる批判 - -

=National Geographic Journal Japan 〉ニュース〉旅&文化〉

・・・・2020.03.02 / 文=Aaron Teasdale/訳=ルーバー荒井ハンナ・・・・

 オブレイディ氏が才能あるアスリートであり、これまでも多くの困難に挑み続けてきたことは間違いない。米エール大学で水泳選手として活躍し、22歳で卒業すると、ペンキ塗りのアルバイトで貯めた金を使って1年間かけて世界を旅した。タイのビーチで火のついた縄で縄跳びをやった時に足に大やけどを負い、1カ月入院した。本のなかで、この時医者から普通に歩くことはできないと宣告されたことを明かしている。

 だがそれから2年もたたないうちに、オブレイディ氏はシカゴトライアスロンのアマチュア部門で優勝した。その後自分の能力の限界を試すため、商品先物取引のトレーダーを辞めて6年間をプロのトライアスロン選手としての訓練に費やした。

 2016年、野心に燃えたオブレイディ氏はプロの冒険家としての新たなキャリアをスタートさせ、世界最速で「探検家グランドスラム(最終緯度)」を達成した。探検家グランドスラムは、7大陸最高峰のすべてに登頂し、北極点と南極点を踏破するという挑戦だ(最終緯度の但し書きがつく場合は、極地で緯度89度から極点である90度までの111キロのみを踏破した場合)。オブレイディ氏の最速記録は、今も破られていない。(参考記事:「型破り登山家、1カ月で6つの8000m峰に登頂成功」https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/052800304/  

 このグランドスラム挑戦中に、オブレイディ氏は極地探検の世界に引き込まれていった。初めて南極を旅し、ガイド付きで南極点到達を目指していたときに、ワースリー氏の挑戦を知った。ちょうどそのとき、ワースリー氏はあの運命の南極大陸横断に挑戦している最中だった。「まだ誰も成功していない『世界初』があることを知って、心を奪われました」と、オブレイディ氏はナショナル ジオグラフィックに対して語った。

 次にオブレイディ氏は、北極点行きのスキーツアーに参加した。その時ガイドを務めたベルギー人のディクシー・ダンセルコーアー氏は、オブレイディ氏のことを「威圧的で野心に燃えた若者」だったと表現する。グランドスラムを達成させることで頭がいっぱいだったオブレイディ氏は、北極の雄大な自然を心から楽しみたい他のツアー客との間でしばしばトラブルを起こした。

 結局、オブレイディ氏は途中でエリック・ラーセン氏が率いる別のグループに乗り換えたのだが、その時の強引なやり方に、ラーセン氏も他のガイドもあきれかえったという。「あまりにひどくて、今でも語り草になっていますよ」

 急ぎすぎた男     

 ワースリー氏の死後、チャンスが自分に巡ってきたことを悟ったオブレイディ氏は、南極の冒険旅行を手配するALEの冒険担当者スティーブ・ジョーンズ氏に連絡を入れ、自分も同じルートに挑戦したいと伝えた。しかし、ALEは単独での冒険を承認するために厳しい前提条件を課しており、オブレイディ氏は経験不足であると判断した。

 そこでオブレイディ氏は、北極ツアーでガイドを務めたダンセルコーアー氏に助けを求めた。  最終的にダンセルコーアー氏とALEは、オブレイディ氏が580キロのグリーンランド氷冠横断を達成したら、南極大陸横断を承認することで合意した。

 別の予約客が入っていたためにダンセルコーアー氏はグリーンランド行きに同行できなかったので、ボルゲ・オウスラン氏が経営する極地ガイド会社を紹介した。こうしてオブレイディ氏は、オウスラン氏の若いガイドが率いるグループに加わり、グリーンランドへ出発した。南極大陸への出発予定日は、2カ月後に迫っていた。(参考記事:「グリーンランドは温暖だった?写真で見る洞窟探査」https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/111600049/  

   しかしここでも、すぐに問題が持ち上がった。スポンサーとのミーティングがあると言い、オブレイディ氏はガイド会社のアドバイスを無視してグリーンランドを早めに発つ飛行機の予約を入れた。

グループで一緒になった参加者たちに話を聞くと、オブレイディ氏はさっそくグループの主導権を握ろうとして、年下のガイドの権威を損なうような振る舞いを始めたという。そして、自分のスケジュールに間に合わせるために早く先へ進むようグループを盛んにせき立て、遅いメンバーに「無理を言い」「侮辱し」「非難し」、「終始人を傷つけるような言葉を吐いた」という。

  結局オブレイディ氏は、旅の終着点まであと10%というところで、飛行機に間に合わせるためにヘリコプターを呼んでひとりグループを離れた。そのすぐ後で、オブレイディ氏のウェブサイトは更新され、グリーンランド横断は「成功」したと発表された。ヘリコプターを呼んだことについては、全く触れられなかった。

 グリーンランドの顛末はどうであれ、オブレイディ氏は目標を達成したとして、ALEから南極横断の承認を得た。スティーブ・ジョーンズ氏は、ALEが推奨するルートをオブレイディ氏へ提示し、正当な無支援単独大陸横断ルートだと伝えた。 ただし、ALEが提示したこのルートに対して、ナショジオが話を聞いた極地の専門家たちはみなそろって懐疑の声を上げた。ジョーンズ氏はこれに対し「まだ誰も成功していない達成可能なルートです。多くの人が、このルートを行けば記録が作れるということを知らないからです」とメールに書いている。

  安全を重視することで高い評価を得ているALEだが、その目的は旅行を販売することであり、彼らにとって受け入れやすいルートとは、危険が少なく、金がかからず、支援が楽なことであるという点は触れておくべきだろう。  こうしてオブレイディ氏は、次なる冒険を自身のウェブサイトで発表した。南極大陸の無支援単独横断計画「The Impossible First」だ。

第4回「『最大の難所』を高速突破できたのはなぜか」へつづく ・

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